2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

インパクトの高い論文

◆インパクトの高い論文:High-impact Paper ある期間に300回以上引用された論文 定義は厳密なものではなく,単に被引用回数の高い論文ともとれる. ◆インパクト・ファクター(文献引用影響率):IF = Impact Factor ある研究ジャーナルが前年2年間に出版し…

⑥投稿ジャーナルを選ぶ 第3の点.投稿ジャーナルを選ぶことである. 論文の第1著者になったし,名前も日本人としては1人しかいないようにした. それでも『サイエンス・サイテーション・インデックス(SCI = Science Citation Index)』が取り上げてくれな…

区役所に届けたりしないよーに 自分が出版した論文の最初からそういう名前を使ったほうが研究者名として一貫するが,論文を最初に出版する大学院生のころに,著者名のこういう事情がわかっている人はあまりいないだろう.たいていの人は,不肖・ハクラクと同…

論文の被引用での損得 ||サイエンス・サイテーション・インデックス」からみえてくる研究論文の書き方 の損得にもふれておきたい. ①論文の第1著者になる 第1の点.論文の第1著者になることである. 論文の情報は第1著者(Primary Author)を中心に整理さ…

キーワードから論文をさがす 最後に第4の情報として,パーミュターム・サブジェクト・インデックス(PS I = Perm凵term Subject Index)を述べよう,これは’97年12月号では6分冊のうち「IE」,冂卜」の2分冊で,2冊合わせて2539頁からなる.なお,perm…

研究者別の被引用状況がわかる さて,第3の情報,サイテーション・インデックス〔Ci↑a↑k〕n Index)に移ろう引用ということからいうと,これが最も重要である これは6分冊のうちの「IA」付録表4 サイテーション・インデックスで「A旧AK」氏の論文の被…

研究論文がどう評価されたのかを計る指標の1二)に,該当の論文が他の論文の引用欄(Refere冂ces, Bibliographies, Footnotes)に何回引用(Citation)されたかで計る方法がある.アメリカの民間研究所である科学情報研究所(ISIこInstitu↑e for Scientific Info…

数学から医学までを貫く考え方

精密な知識の類型 「科学」という語彙は広義には人文科学や社会科学といったいわゆる“文科系”の学問をも含み、さらに自然諸科学プロパーからは外れる数学をも包みこむ。「科学」を自然諸科学を中心として考える約束であるが、科学論を効果的に展開するには、…

技術の政治学

マルクスによる技術史の記述にしてもヽシュムペーターの経済発展論にしてもヽテクノロジ -を政治経済学の枢要な構成要素として考慮していることが注目される。シュムペーターの経済発展論の中には、とくにアメリカで進行中の「産業化科学」の著しい発展の観…

技術の社会科学理論

「理論的な学の目的は真理であるが、実践的な学の目的は行為である」。これはアリストテレス『形而上学』の中の言葉である(呂陟)。この文を手がかりにして言えば、科学が真理を目指すとすれば、技術は行為を目指す。そして行為があるところには政治がから…

技術の社会構成主義

それでは技術を社会の構成物だと考える見方はどのように近代テクノロジーを見るのであろうが? 私たちは先に技術決定論を技術が立法者であると考える立場たと規定したが、そもそも立法者という主権者がどのようにして定義され、社会の中で選出されるのかも問…

近代テクノロジーの思想

技術決定論 私たちはしばしば科学をたたえたり、科学を睨ったり子るが、実は本来考察の対象にすべきなのは技術である。歴史としかにかかわり、社会に直接影響を及ぼしうるのは技術なのである。科学はその技術が力を増強するのを助ける機能を受け持つだけにす…

二十世紀の科学的テクノロジーとその技術論的問題

二十世紀を象徴しえるような科学的テクノロジーの産物はなんだろうか? 航空機もその候補かもしれないが、科学技術史の観点から問題にすべきなのは、それよりもコンピューターであろう。計算機械の考えはパスカルやライプニッツの時代からあったが、彼ら十七…

科学的テクノロジーの発展

科学に基づく技術、すなわち科学的テクノロジーは本格的には十九世紀になって登場した。その代表例がさますまな電気技術である。電信・電話などの遠距離を結ぶ通信技術、電灯などの照明器具は電磁気学に基礎をおく電気エネルギーの安定的供給なしには考えら…

ヨーロッパ中世以降の技術と「軍事革命」

ヨーロッパの科学技術の曲線は中国のそれと横断したことになっている。しがし、西洋の上昇曲線は中世初期からすでに始まっているのである。中世ラテン世界のどういった要因が一六○○年ころの横断に貢献したと考えられるのであろうか? その要因はのちのルネサ…

中国技術の停滞・西欧技術の急成長の要因

ルネサンスにいたるまでは中国技術が西洋のそれに優るとも劣らないほどの水準を保っていたことが認められるとして、どうしてそういった中国技術が、ルネサンス以降の西欧技術に追い抜かれてしまわなければならなかったのであろうか? この問題は、技術だけで…

前近代的技術から「科学に基づくテクノロジー」へ

私たちは、幕末・明治維新期の日本が受け入れた「科学」が、西欧でいかなる前歴をもつ知的営みであったのかを見た。しかし、その時期の日本人を驚嘆させたのは、第二の科学革命と第二の産業革命を遂行中の実験諸科学に基づいた技術であった。それでは、そう…

高度科学技術社会と科学技術のイデオロギー性

十九世紀後半、竿二次産業革命が先進資本主義社会で遂行され、科学的テクノロジーが社会の中で重要な役割を果たすようになってのち匸咼度科学技術社会が到来した。蒸気機関、ディーゼル、ガソリンなどを利用した運輸子段、電気テクノロジーを使用した交信子…

科学帝国主義

十八世紀まで、ヨーロッパの非西洋地域への文明伝達の思想正当化のために利用されたのはキリスト教であった。十九世紀以降、その宗教に代わって科学と技術が利用されるようになった。こういった現象を最近、「科学帝国主義」という術語を使って表現すること…

科学の専門職業化

フランス革命後の近代社会は、科学を社会の不可欠の構成要素として制度化した。なるほど十七世紀にも部分的な科学の制度化が近代国家によってなされたが、その影響はほんの一部の数学者を中心と寸るエリート的科学者にしか及ばなかった。十八世紀末以降の科…

フランス革命以降の科学

テクノロジーに応用される科学の登場 本格的な「科学の時代」としての十九世紀―実験諸科学の理論化 本格的なヨーロッパの近代は一七八九年のフランス革命とともに始まったと言われる。実は本格的な「科学の時代」もその革命が進展するにつれて到来するのであ…

マキアヴェッリのリアリズム

マキアヴェッリのリアリズムは、前述のようにベイコンによって高く評価され、さらにホッブズによって近代科学的よそおいをほどこされた。ホッブズは国家を機械と見たのである。伝統的主権者(王権)は神秘的仮面をはがされ、国家をよりよく統治し、人民に安…

近代科学のマキャヴェリスト的背景

ニュートンが集大成したようなテクノロジー科学はたんに思想上の成果として学者たちの規範になっただけではなかった。それは政治的・社会的にも支持を獲得することができた。というより、政治的・社会的に同様のエートスがすでに生成され定着しつつあったた…

純粋数学から数学的自然学へ

十七世紀に科学の第一人者がアルキメデスからニュートンに移るとともに、中心的学問内容にも変動が起こった。アルキメデスが主にたずさわったのは数学と実用数学(静力学など)であった。せいぜい純粋数学とその周辺部であったと言ってよい。他方、ニュート…

イスラーム世界・中世ラテン世界で近代科学が生まれなかった理由

ここで、どうしてイスラーム世界、ラテン-キリスト教世界で近代科学が生み出されなかったのか、その理由を考えてみることにしよう。これらの文明は、アルキメデスの数学を頂点とする古典科学を所有していた。それのみならず、イスラーム、キリスト教の教義は…

ツィルゼルの学説の強み

ところで中世ヨーロッパにおいては、「技芸」と「哲学」は別々の場所で、別々の人たちによって担われていた。前者には職人腦(基本的に無学であり、仕事の伝承は徒弟修業を通していたが、後者には大学の学者(基本的に子仕事を軽蔑していた)がたずさわって…

「高級職人」と大学の出会い「テクノロジー科学」

十七世紀の科学革命とともに、世界の科学的伝統の主役はアルキメデスからニュートンに代わった。アルキメデスはなるほど機械学的手法を研究に用いたものの、間接証明(帰謬法)の論理的力によってアルキメデスになりえたのであった。ニュートンは「テクノロ…

アラビア科学・中世ラテン科学

ギリシヤの理論的精神はディアレクティケーによって育まれ、それは数学においてはユークリフトの『原論』、哲学においてはプラトンのさまざまな対話鎬の中に生きて継承されてゆくことになった。それでは、ギリシヤの科学的精神を最高に華咲かせた人はどうい…

 民主主義とともに生まれた理論数学

理論数学がいかなる経緯で古代ギリシヤで成立したのかの歴史理論はハンガリーの数学史家アルバッドーサボーによって提起された(「ユークリッド公理系の始原」一九六〇年、『ギリシヤ数学の始原』一九六九年)。彼は数学における厳密な論証とはいかなるもの…

源流としての古典科学

ギリシャの「奇跡」 十七世紀のホッブズが「科学的」な知識の代表とみて高く評価したのは数学、なかんずく公理論的に体系づけられた幾何学であった。彼はユークリッド『原論』の第一巻の最後のほうに置かれた命題(ピュタゴラスの定理)を見て、それを論駁し…