マキアヴェッリのリアリズム


 マキアヴェッリのリアリズムは、前述のようにベイコンによって高く評価され、さらにホッブズによって近代科学的よそおいをほどこされた。ホッブズは国家を機械と見たのである。伝統的主権者(王権)は神秘的仮面をはがされ、国家をよりよく統治し、人民に安寧を提供しうるもののみが主権者に値するとされた。ホッブズにとって政治科学にアプロー子する最も重要な概念は「分析」であった。彼によって、国家の成り立ちは個々人にまで分解(分析)され、こうした個々人の安全(最悪の事態としての突然の暴力死の回避)を保障してくれる政治システムはいかなるものであるかが探究された。こういう匸フロー子の仕方から得られる帰結は、主権者は誰でもよい、したがって、政体は尹王制でも共和制でもどちらでもよい、要は、人民に安定した生活を約束してくれれば、政治の最低の役割は果たされる、ということである。このリアリズムの観点に立った政治科学は、誰にでも評価されるはずであったが、現実認識があまりに冷徹すぎたために、ホッブズは彼の先駆者マキアヴェッリ同様みなから賺われた。今日でもあまりに正直すぎる者が嫌われの的になるようにI。

 

 近代自然哲学は、機械学=力学を中軸にして成り立っている。近代政治哲学も、力の関係を論ずるという意味で、それもある種の力学である。近代自然哲学と近代政治哲学の統一はホッブズによって成しとげられた。彼はマキアヴェッリの思想的後継者であった。レオーシュトラウスがいうように、「啓蒙はマキアヅエッリとともに始まるのである」(「政治哲学とは何か」)。

 こうしてみると、王権神授説では主権がもはや維持できないと考え、社会契約説的な自己正当化を図る近代国家が、国家権力の中心部分に近代科学の学会をおき、「数理学」の天才たちを召し抱えたのも偶然ではないことが分かる。ロンドンのロイヤルーソサエテイつ土立協会」とも翻訳される、一六六二年憲章制定)、バリの王立科学アカデミー(一六六六年創設)はそういった近代学会の二つの主要なモデルであった。西欧化するロシアの象徴としてピョートル帝によって建設されたサンクトベテルペルク科学アカデミーに所属して活躍したす八世紀数学の王者レーオン(ルト・オイラーは、そういった才能ある「数理学」の担い子の代表だった。彼はそこのたんなる装飾品だったわけではない。近代絶対主義王権にとってなくてはならない。イデオロギー″的中核だったと言っても過言ではないのである。「倫理から数理学へ」のスローガンを掲げたわが福澤諭告が、科学アカデミーの日本版、日本学士院の源流である東京学士会院二八七九年創設)の初代会長であったのはたんなるエピソードにとどまるにしても  。

 

 以上のような。マキアヴェリスト的”と言ってまい政治的・社会的背景が、それほど実用として役立つわけではない新進の近世「数理学」を思想的・制度的に援助したのである。そして、テクノロジー科学は、前述の複合的な思想的‐社会的深層構造の上に成立した知的営為だったのである。