2014-09-27から1日間の記事一覧

高度科学技術社会と科学技術のイデオロギー性

十九世紀後半、竿二次産業革命が先進資本主義社会で遂行され、科学的テクノロジーが社会の中で重要な役割を果たすようになってのち匸咼度科学技術社会が到来した。蒸気機関、ディーゼル、ガソリンなどを利用した運輸子段、電気テクノロジーを使用した交信子…

科学帝国主義

十八世紀まで、ヨーロッパの非西洋地域への文明伝達の思想正当化のために利用されたのはキリスト教であった。十九世紀以降、その宗教に代わって科学と技術が利用されるようになった。こういった現象を最近、「科学帝国主義」という術語を使って表現すること…

科学の専門職業化

フランス革命後の近代社会は、科学を社会の不可欠の構成要素として制度化した。なるほど十七世紀にも部分的な科学の制度化が近代国家によってなされたが、その影響はほんの一部の数学者を中心と寸るエリート的科学者にしか及ばなかった。十八世紀末以降の科…

フランス革命以降の科学

テクノロジーに応用される科学の登場 本格的な「科学の時代」としての十九世紀―実験諸科学の理論化 本格的なヨーロッパの近代は一七八九年のフランス革命とともに始まったと言われる。実は本格的な「科学の時代」もその革命が進展するにつれて到来するのであ…

マキアヴェッリのリアリズム

マキアヴェッリのリアリズムは、前述のようにベイコンによって高く評価され、さらにホッブズによって近代科学的よそおいをほどこされた。ホッブズは国家を機械と見たのである。伝統的主権者(王権)は神秘的仮面をはがされ、国家をよりよく統治し、人民に安…

近代科学のマキャヴェリスト的背景

ニュートンが集大成したようなテクノロジー科学はたんに思想上の成果として学者たちの規範になっただけではなかった。それは政治的・社会的にも支持を獲得することができた。というより、政治的・社会的に同様のエートスがすでに生成され定着しつつあったた…

純粋数学から数学的自然学へ

十七世紀に科学の第一人者がアルキメデスからニュートンに移るとともに、中心的学問内容にも変動が起こった。アルキメデスが主にたずさわったのは数学と実用数学(静力学など)であった。せいぜい純粋数学とその周辺部であったと言ってよい。他方、ニュート…

イスラーム世界・中世ラテン世界で近代科学が生まれなかった理由

ここで、どうしてイスラーム世界、ラテン-キリスト教世界で近代科学が生み出されなかったのか、その理由を考えてみることにしよう。これらの文明は、アルキメデスの数学を頂点とする古典科学を所有していた。それのみならず、イスラーム、キリスト教の教義は…

ツィルゼルの学説の強み

ところで中世ヨーロッパにおいては、「技芸」と「哲学」は別々の場所で、別々の人たちによって担われていた。前者には職人腦(基本的に無学であり、仕事の伝承は徒弟修業を通していたが、後者には大学の学者(基本的に子仕事を軽蔑していた)がたずさわって…

「高級職人」と大学の出会い「テクノロジー科学」

十七世紀の科学革命とともに、世界の科学的伝統の主役はアルキメデスからニュートンに代わった。アルキメデスはなるほど機械学的手法を研究に用いたものの、間接証明(帰謬法)の論理的力によってアルキメデスになりえたのであった。ニュートンは「テクノロ…

アラビア科学・中世ラテン科学

ギリシヤの理論的精神はディアレクティケーによって育まれ、それは数学においてはユークリフトの『原論』、哲学においてはプラトンのさまざまな対話鎬の中に生きて継承されてゆくことになった。それでは、ギリシヤの科学的精神を最高に華咲かせた人はどうい…

 民主主義とともに生まれた理論数学

理論数学がいかなる経緯で古代ギリシヤで成立したのかの歴史理論はハンガリーの数学史家アルバッドーサボーによって提起された(「ユークリッド公理系の始原」一九六〇年、『ギリシヤ数学の始原』一九六九年)。彼は数学における厳密な論証とはいかなるもの…

源流としての古典科学

ギリシャの「奇跡」 十七世紀のホッブズが「科学的」な知識の代表とみて高く評価したのは数学、なかんずく公理論的に体系づけられた幾何学であった。彼はユークリッド『原論』の第一巻の最後のほうに置かれた命題(ピュタゴラスの定理)を見て、それを論駁し…

 西洋科学の思想的基礎解明の必要性

近代日本が導入を図った「科学」は、西欧近代科学、しかも第二の科学革命を十九世紀後半の、専門化され、技術に応用を見いだしていた科学であった。わが国は、世界史的に見て、稀々ほどに、短期間で急速な政体の革命を成しとげ、文化的スタイルの変革を遂行…

 非西洋科学

科学はなにも以上でとりあげた「具体の科学」、古典科学、近代科学に限られるわけではない。非西洋地域の文明において育まれた、がなり高度に発達をとげた科学が存在したし、現に存在してもいる。その代表が中国医学命医学)であり、日本の前近代数学である…

 第二の科学革命

フランス革命が進展し、その急進主義的展開が一段落すると、近代科学を高等教育施設の中に制度化しようとする動きが本格化した。フランスのエコルーポリテクニク(かつては「理工科学校」という訳語が使われたことがある)はその典型であった。この動きはナ…

 十七世紀の科学革命

西欧近代科学には大きく分けて二つの形態が認められる。第一が、ルネサンス以降展開された科学革命(第一の科学革命)とともに生まれた近世科学であり、第二が、フランス革命以降の本格的な近代社会で育まれた近代科学である。フランス革命とともに起こり始…

自然学

自然学(自然に関することがら、の意味)は論理的・経験的方法で展開された。その代表例がアリストテレスの『白然学』である。それは日常的観察と徹底した論理的思索である。自然学で議論できない超越的存在、自然現象をひきおこす究極の原因などは、アリス…

古典科学

「古典科学」と呼ばれるべき形態の科学は古代ギリシャで生まれた。「具体の科学」はしばしば「神話的思考」と親和的であることがありうる。「神話的思考」とは海や川の水や雨水を天に住む龍す神す超人的人間のしわざにしたりするような思考法であるが、古代…

「具体の科学」と近代科学

要するに、レヴィ‥ストロースが「具体の科学」としてとらえるものの考え方は、必然的に近代科学へと発展し、発達レヅエルの階梯を昇ってゆく出発点となるという意味において、原初形態なのではない。「具体の科学」と近代科学双方の理解のパターンは必ずしも…

 文化人類学的科学

さまざまな文化共同体、とりわけ分化をもつ歴史的文明以外の研究が進み、文化人類学と呼ばれる学問が成立した。その学問が発展するにつれて、ある種の文化共同体には固有の、数なり自然に関する秩序立った知識が存在することが明らかになった。 このような発…