科学の専門職業化

 

 

 フランス革命後の近代社会は、科学を社会の不可欠の構成要素として制度化した。なるほど十七世紀にも部分的な科学の制度化が近代国家によってなされたが、その影響はほんの一部の数学者を中心と寸るエリート的科学者にしか及ばなかった。十八世紀末以降の科学の制度化は、科学者を高等教育機関の教壇に立たせ(この事態は「科学者が教授になる」と言い表される)、科学教育を一般化させ、科学を専門学問分野として学ぶ学生たちを輩出させるようになり、科学者という専門職業を成立させることになった。それまで西欧の専門職業は、聖職、法曹、医療などに限られていたが、今度は科学が専門職業になり、十九世紀後半には聖職以上に有力な職業と目されるようになってゆくのである。

 

 科学は数学という言語で書かれるようになると人が近づきにくくなる。現実にフランス革命後の本格的制度化によって、科学はますます専門化する趨勢のもとにおかれた。そして制度化された科学は専門人によって理論化・数学化されたため、一般人にはますます近づきにくいものとなった。このことはアルキメデスの数学の高度さを会頭におき、エコルーポリテクニクがアルキメデス的伝統を継承する技師養成機関であったことに思いをいたせば、当然のことである。

 

 このような専門化は科学的テクノロジーが人々の欲求を普遍的に正当に満足させているうちはそれほど問題にはならないことだったがもしれない。しかし、一部の社会階層(ないし特定の政体)がほかの社会階層(ないし特定の敵対的政体)を犠牲にしてテクノロジーを開発し使用る段になると、問題は大きく、かつ深くなる。専門化された科学の内容の高度さを楯に、その開発と使用を神聖化したり、正当化したりすることが普通のことになる。科学者・技術者の社会的責任が問われるべき事態になるわけである。 まさしく科学の専門職業化か進行中に劍られたのが、英語の語彙、「サイエンティスト」だった。この単語が一八三四年に使われ始めたことは前章で述べたが、それは、初出時それほど歓迎されなかったらしい。一般教養を重視するジェントルマン的気風がいまだに旺盛な時代の英国では、専門的に科学に従事することなどうさんくさく見られたのである。この語は世紀がだいぶ進んでがら、むしろアメリカでよく使われるようになった。そこは専門家の国だったのである。けれども、十九世紀は専叩家としての科学者にとってもいまだ牧歌的な時代であった。ともかく物理学者なら物理学という一学科の全容に通ずることができたからである。二十世紀になるとそのようなことは不可能になる。科学の前線で創造的な仕事をするには、ごく狭い専門分野で勝負するはかないからである。専門職業人の悲哀は、二十世紀の科学者において極まるのである。

(科学論入門:佐々木力著)