科学帝国主義

 

 十八世紀まで、ヨーロッパの非西洋地域への文明伝達の思想正当化のために利用されたのはキリスト教であった。十九世紀以降、その宗教に代わって科学と技術が利用されるようになった。こういった現象を最近、「科学帝国主義」という術語を使って表現することが一般的になっている。「帝国主義」とは、ある文明共同体が政治的子段で後進地域を従属させ大きな支配圈を作ることをいうが、「科学帝国主義」とは、なかんずくその支配のために科学が本質的機能を演ずる特異な形態をいう。

 

 * この概念は一九八〇年代がらルーイスーバイェンソンなど科学史家によって頻繁に使用されるようになり、その歴史的実像の研究のための科学史家の世界的ネットワークが存在子るほどまでになっている。

 

 銃砲などの火器、交迦・通信などについての技術が帝国主義的子段として機能した事実は理解しやすい。わが国の幕末の歴史はその例証である。十九世紀後半の欧米世界の世界支配が可能になったのは、科学的テクノロジーという手段と帝国主義的膨張という政治的目的が相互作用することによってであった。技術は武力統治のためにだけ使用されるとは限らない。医学のように、被支配地域の住民のためになる例もあることも忘れるべきではない。だが逆にみれば、医学が政治的抑圧のために利用される場合もあるのである。今日では、あの無条性に尊敬のまなざしを向けられていたアルペルトーシュヴァイツァーのアフリカでの。人道的”医療活動ですら無垢ではなく、キリスト教伝道を優先させる情報統制をやったという否定的側面があったことが認識されている。

 

 技術だけではなく、純粋科学も帝国主義の思想的道具として機能した。純粋科学の担い子である才能ある科学者の存在は被支配地域の住民にとっては自分たちの人種的・文化的劣等性の有無を言わせぬ例証であると思われたし、帝国主義者は実際、科学を支配の正当化のために利用したのである。

 

 近代日本は、当初は「科学帝国主義」の。被害者”であったが、ある時点からはその。加害者”に転じた。その例をあげよう。後藤新平は植民地・半植民地支配の「文化統治」を唱道し。 「科学的政治家」を自称した政治家であった。彼は台湾統治のために医療活動をきわめて重視した。また南満洲鉄道(満鉄)の総裁として、日本の文化支配のために日本的神社を建立させるとともに、科学研究所の開設を訴えた。満鉄中央試験所はそのために建設された。彼によれば、その研究所は実利のためになると同時に、科学技術を制度化した日本の近代文明に現地人を帰依させるための。後光”としての意味をもつというのである。

 

 もう一つの例は、先の戦争中、科学技術動員の中心となった技術院の総裁、多田禮吉の発言からとることができる。彼は日本軍が東南アジア地域を占領した直後の一九四二年後半、その地域をまかった際の感想を次のように述べた。「我が日本の武力と共に科学力に依って先住民の尊敬と信頼とをがち得るやうにしなくては、大束亜の建設は出来ないと思ひました」(科学動員協会編『南方科学紀行』一九四三年)。

 

  「科学帝国主義」は近代科学の影の部分かもしれない。が、そういった影もが近代科学の実像の一部分であることを忘れてはならない。これまで科学が演じてきたさますまな役割の冷厳な総括を通してのみ、新しい科学の未来は切り開かれうるに相違ない。

(科学論入門:佐々木力著)