技術の政治学

 

 

 マルクスによる技術史の記述にしてもヽシュムペーターの経済発展論にしてもヽテクノロジ -を政治経済学の枢要な構成要素として考慮していることが注目される。シュムペーターの経済発展論の中には、とくにアメリカで進行中の「産業化科学」の著しい発展の観察が祖みこまれていたと言われる。十九世紀後半から二十世紀初頭のアメリカは実に「企業科学」の一大発展の時代にあった。エディソンが関係したジェネラルーエレクトリック社、ナイロンを発明したデュポン社などはその代表で、いずれもそうそうたる顔ぶれの科学者を擁していたことで知られる(古川安『科学の社会史』一九八九年)。二十世紀において「技術革新」は資本主義的企業が競争を勝ち抜くための至上命令になったのである。

 

 これまでの記述では、あたかも科学的テクノロジーの発展こそが社会それ自身の発展を導き、また、テクノロジーを促進させる政治構造をそなえた社会こそがよりよい社会であるかのような印象を与えたかもしれない。マルクスの技術史に関する草稿がわずかに陰影を添えていたにしても。しかしながら、今日の先進資牛王義のみならずソ連邦崩壊後のロシアの支配的思潮にもなっているかにみえる「技術革新」至上主義的見方は、私の採るところではない。

 

 ある種の「先端技術」を取りこまない社会、また取りこまないような政治的選択がより。健全”であったような事例も存在していたのである。ここはそういった事例がいかなるものであるかを主題的に論ずる場ではないので、ほんの匸二の例のみをこれまでの議論に直接関係した日本の江戸時代から抜き出してみよう。

 

 ジェフリー・バーカーはヨーロッパ近世に起こった軍事革命に関する著書笨章己の、その革命がアジアに波及する場面を記述した文章の中で、一六一〇年の・・・について述べている。「いままさにオランダとスペインの海上戦の真っ最中であったマニラに、一隻の朱印船が到着した。すると、戦闘は一時中止され、日本の中立船がその間を悠然と帆走していった」。

日本との交易を重要視していたオランダは日本の船に戦闘をしかけることはできなかった。そういった日本の政治的地位によって、「朱印船は火砲をいっさい積んでいなかった」。江戸時代初期の日本の船舶は先端軍事技術を装備する必要がなかったのである。

 

 同様の、しかしもっと大規模の事例も同時代の日本から引くことができる。戦国時代の終末期にあった十六世紀のわが国が世界的な軍事技術先進国であったことは、織田信長の鉄砲戦術の巧みさからも立証できる。が、戦国の世が止み、徳川幕府によって中央集権的な武家官僚国家が形成されると、日本の銃砲技術は停滞した。猟銃か、武士の装飾のための鉄砲だけが存続を許された、と言えるほどになったフェルーペリン『鉄砲を捨てた日本人』一九七九年)。わが国の黒船以前の歴史には世界に誇れるものがあったのである。

 

 否、黒船以降にもわが国は誇れる技術史の記録をもっている。敗戦後の日本は核兵器という最先端技術をもたなかった。それのみならず、戦争期の軍事産業のほとんどを非軍事化した。これは、冷戦終結後の今日でも巨大な軍事産業を抱え、民生のための技術を圧迫しているアメリカと比較する時、まことに特異なことである。この誇るべき歴史はいつまで続くのであろうか? その歴史は終焉してしまうのであろうか、それとも反対に、初心を貫いて、その非核武装なり非軍事技術の誇り高い歴史を世界に拡げようと努力するのだろうか?

 

 技術は力である。それは政治と密接に関連する。善き政治的意図は善き技術のヅエクトルを伸張させる。悪しき政治的意図は悪しさ技術の発展をうながす。軍事技術はその代表例である。これまでの技術の発展のヴェクトルは軍事的意図が異常に大きかった時代に伸張した。その技術の質が分かろうというものである。健全な技術は健全な政体のもとでのみ発展する。テクノロジーはその意味で一個の思想、“イデオロギー″なのである。

 

 アメリカの技術史家メルヅイン・クランツバーグが長年の技術史研究を振り返っていみじくも言ったように、「テクノロジーは善いものでも、悪いものでもない。かといって、中立でもない」(クランツバーグの第一の法則。S・H・カットクリフ、R・C・ポスト編『コンテクストの中で-11-メルヴィンークランツバーダ記念論文集』一九八九年)。テクノロジーはつねに一定のコンテクストの中でつちかわれ、一定の“イデオロギー”として社会内で機能する。それは技術の内的論理に従うとともに政治的次元をも併せもつ。悪いのは政治的意図で、技術はいつも無垢だととはなにか,それは科学とどう関係するか?するのは素朴である。それゆえ、技術はたんなる道具ではなく、逝竹以上の。喫余を内包している。かといって、実体として自立しえているわけでもない。やはり一定の目的との連関のもとにある。数ある技術の中には、ほとんどあらゆる社会構造のもとで、その内実を変えない形態もあるかもしれない。が、そういった事例は例外的でしかない。技術そのものの中に政治的意図がまるごと浸透しているものもあることに目をつぶってはならない。要するに、重要なのは健全な技術が育つ健全な社会を建設することである。そのような政治が行われる政体を創出することである。

 

 このようなことを省みる時、やはりマルクスの枝術論的洞察には非凡なものがあった。彼は技術の政治経済学的機能をよく見ていた。しかし、彼は二十吐紀の技術の多様で深刻な現実を生きて目撃することができなかった。今日の彼の創造的後継者の一人アンドルウーフィーンバーグは、その著『テクノロジーの批判理論』において、テクノロジーと社会の密接な相関関係を認識して、根源的に民主主義的な社会のもとでの技術思想を模索している。 フィーンバーグのみならず、少ながらざる技術の思想家が技術の政治について根源的な転換を呼びかけている。『鯨と原子炉---高度技術時代の限界を求めて』の著者ロングドンーウィナーもその一人である。彼は技術を社会の法典と同様以上の機能を果たすものと見なしている。私たちの日常生活における都市の構造や交通機関のことを想起してみさえすればよい

(科学論入門:佐々木力著)