「高級職人」と大学の出会い「テクノロジー科学」

 

 

 十七世紀の科学革命とともに、世界の科学的伝統の主役はアルキメデスからニュートンに代わった。アルキメデスはなるほど機械学的手法を研究に用いたものの、間接証明(帰謬法)の論理的力によってアルキメデスになりえたのであった。ニュートンは「テクノロジー科学」によってニュートンになった。

 

  「テクノロジー科学」という概念を分析することによって、近世科学がいかなる性格をもち、どうしてそういった学問がルネサンス・ヨーロッパで離陸しけじめ、子七世紀において体系の形に整えられるにいたったのかが解明できるだろう。ここで、「テクノロジー科学」とは「機械的技芸に基」づく科学」の意味である。それはいがなる特徴をもった科学なのであろうか?

 

 ニュートンの傑作『自然哲学の数学的諸原理』には、読者に宛てられた著者の序文がある。そこでニュートンは、自分の学問が古代から存在していた「機械学」の延長上にあること、そして自分としては「技芸」というよりは「哲学」に関して思いをめぐらし、自然界の力について総合的に議論するつもりであると告げている。ニュートンがいうように、「機械学」は古代からあった学問である。ニュートンはバッポスの名前をあげているが、アルキメデスもそれにかかわった最も有力な理論家であった。古代において「機械学」は梃子や天秤や滑車などの機械の操作のための理論を意味し、そういった機械学的伝統は「アルキメデス伝承」の一環として、あるいはそれと同様の道筋を通してルネサンスまで届いていた。それの新しいヅアージョンはガリレオの「新科学」の片割れとなっている(『新科学論議』一六三八年、の「新科学」とは機械学と位置運動論との二つである)。そういった機械学的伝統の延長上に立ち、力がいかなる形で自然界に存在し機能するかについて、「技芸」的にではなく「哲学」的に論じ、そうして得られた結果を「数学的諸原理」の形で提示することがニュートンのもくろみなのである。

 

(科学論入門:佐々木力著)