非西洋科学

 

 

 

 科学はなにも以上でとりあげた「具体の科学」、古典科学、近代科学に限られるわけではない。非西洋地域の文明において育まれた、がなり高度に発達をとげた科学が存在したし、現に存在してもいる。その代表が中国医学命医学)であり、日本の前近代数学である和算である。古典科学の一部分としてあげたアラビアのアルジャブルなども、ある意味でこの科学のカテゴリーに含めて理解されるべき学問かもしれない。非西洋科学は「具体の科学」の高度に発展した形態と見られないこともない。ブリコラ九ンユが高度に発展をとげ、ある文明の中で体系化され、制度化された科学だからである。ある観点から見れば、古典科学もそうである。

 

 非西洋科学の代表である中国医学(その日本的ヴァージョンが漢立医学である)の思想的基礎は西欧近代科学の機械論モデルに基づくものとはおおいに異なる。まず、その医術としての処と思想的基礎が渾然一体となっている。その思想的基礎は有機体論的であるとか、全体論的であるとかの説明がなされるが、このような概念的規定すら西洋的な色彩の濃い理解の仕方として苦言を呈される可能性がある。

 

 * 中国科学史の専門家、山田慶兄らによるこの形態の医学の理解のための努力からは学ぶことが多い

 

  (とくに一般向けの講演集『中国医学の思想風土』一九九五年)。中国医学に関しては、第四章3で詳しく論じる。

 

 和算は、中国数学を江戸時代の数学者(職業的には徳川幕府武家官僚)関孝和か改革して、研究伝統として確立した前近代日本の数学である。おそらくその水準の高さは、近代数学、古代ギリシヤの数学(それを継承したアラビア数学の次にくる。中国数学は、算木や筮竹や算盤の

操作を主体として計算を進め、紙に書き下ろした。和算も算木や算盤を用いるが、その計算を書き下ろす仕方が自律的に発展し、「傍書法」と呼ばれる記号代数を関が開発したことによって飛躍的発展への道が開かれた。これが和算発展の概念的基礎であり、それは十六世紀末に成立をみたフランスのフランソワーヴィエトの記号代数に比肩しうるものである。西欧と日本の近世のみがこのような記号代数を生み出しえたことは、それぞれの社会史を比較してみる観点からも、興味深いできごとと評されるべきかもしれない。

 

 そのほかにも非西洋科学の注目すべき形態は存在するが、いずれも最も基礎的な考え方のレヅエルで近代科学とは異なっていることが注目される。すでに文化人類学的科学に関する解説からも明らかなように、西欧近代科学の延長上にある現代科学が、科学のあらゆる諸伝統よりも卓越しているわけでは必ずしもない。そもそも最も原初的であるとされる「具体の科学」自体多様なのである。科学は一般に累積的に一直線状に発展するものと考えられ、実際、そうである場合が多いが、すべての科学がそうであるわけではない。それらを鳥瞰する地図がもし描かれたとすれば、ある科学と別のある科学との優劣が一直線状に並べられるというような線形順序的排列はできず、網状の地形図ができあがるに違いない。それぞれが共通の尺度で測れず、比較不可能であることを、科学史家のターンはギリシャ数学の術語を借りて、「通約不可能」と名づけた。その意味で、科学のさまざまな概念の言語ゲームは、多様で、しばしば通約不可能なのである。たんに通約不可能であるというだけではなく、いかなる仕方で通約不可能か、それぞれの科学の言語ゲームの規則を描き出すことが科学史家の学問的課題なのである。