純粋数学から数学的自然学へ

 

 

 十七世紀に科学の第一人者がアルキメデスからニュートンに移るとともに、中心的学問内容にも変動が起こった。アルキメデスが主にたずさわったのは数学と実用数学(静力学など)であった。せいぜい純粋数学とその周辺部であったと言ってよい。他方、ニュートンの科学は自然哲学であり、その数学的諸原理であることが注意を引く。ここに古典科学と近代科学の分水嶺があるのである。ときどきアリストテレスが数学研究を一般的におとしめたというような誤った解釈が行われることがある。アリストテレスは数学研究を決して一般的には軽侮しなかった。自然を数学的に記述できる、数学的子段は自然を描きっくせる、とするような考えを誤りとしただけなのである。

 

 こういったアリストテレスの考えに挑戦する思想家たちが十七世紀に歴史の表舞台に躍りでた。「自然という書物は幾何学の言語で書かれている」と宣言した『偽金鑑識官』)のガリレオであり、「私は自然学における原理として、幾何学あるいは抽象的数学におけるのとは違った原理を、容認もせず要請もしない」と書いた『哲学の諸原理』)のデカル卜である。彼らはともに、前述の自然学の数学的記述についてのアリストテレス主義的な制限を突破するのにノ原子論ないし粒子哲学的物質観を心に宿し、事物を構成する根源的物質は数学的に記述可能な性質を有しているという観念をもっていた。のちにジョンーロックによって定式化される、大きさ、形など数学的に記述可能な性質こそ本源的な「一次性質」であり、色、臭いなど感覚的性質は「二次性質」にすぎないといった観念である(『人問知性論』一六九〇年、第二巻第八章)。

 

 ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』は、このようなガリレオとデカルトの自然学思想を体現してみせた近代科学の蛾高傑作であった。それは、二つの物体間の万有引力(いかなる物もある力によって引き合うという考古から、惑星の楕円軌道を導き出しただけではなく、彗星、月の軌道もすべて数学的に同様の軌道を描くことを計算してみせた。それだけで・はなく、林檎が地上に落下するのも㈹じ力のなせるわざであることを説き、ある物体の初速度を増大させてやれば、月と同等の人工衛星を打ち上げることすらできると述べた。微小世界も同一の原理で解明できるはずであるという推測をも問陳した。

 

 ニュートンの提示した理論は驚くべき説明力をもっていた。この書の出現以降、あらゆる現象はその理論をモデルとして、同様に説明されるべきであると考えられたI-こう言っても言い過ぎではないような思想的雰囲気が醸成された。ニュートン白身は必ずしもこういった自然の機械論的説明に満足しえていたわけではないのであるが、ともかくこういった雰囲気が一般的になった。ニュートンの業績は、古典経済学を体系化しはしめたアダムースミスのような人にとってもT定の規範になったほどである。

 

 十七世紀になって数学は思索の世界にだけあるのではなく、自然の世界も数学という言語で記述されるべきであるとされた。科学は「高級職人」と「哲学者」の出会いから生まれただけでなく、数学者との合作でもあったわけである。

 

(科学論入門:佐々木力著)