研究だけが人生?

 

  世の中には、すばらしく美しい景色があり、珍しい建造物があり、多様な人々の生活がある。世界のあちこちを旅行したいと思う、胸がワクワクするような話題の映画は何とか時間をつくって見ておきたい。人生を深く考えさせられる感動的な小説も、パラパラするミステリーも、一流作品は読んでおきたい。「オペラ座の怪人」、「ミス・サイゴン」、「レ・ミゼラブル」などの話題のミュージカルも観ておきたいコンサートに出かけたり、最新のCDも聴いておきたい。

 軽飛行機の操縦を習って大空を自由に飛びたい。飛行機でなくても、大空を自由に飛べるスカイダイビングをやってみたい。オーストラリアのグレートバリアU-フの海に潜り海中の魚と遊び、美しいサンコを見てみたい。カナダのウィスう一山のゲレンデをス牛-ですべり、ハワイのノースショアでサーフィンをし南フランスのニースでトップレス美女を眺めていたい。モナコやうスベカスでカジノやショ一を楽しみ、パームスプリングスで」ルフをしたい

 日本でのんびり温泉につかって、その土地の旨いものを食ってみたい。気のおけない友人や家族とくだらないおしゃべりに話を咲かせたい。素敵なあの大と恋を語り、セックスをし、新しい生活を始めたい。まだまだある。とにかく、人生にはいろいろすばらしいことがある。

 しかし、1週間に70時問働く研究者は、上に述べたことの大半を切り捨てなければならない。特に20代~40代はそうである。研究以外に関心をもつ気持ちを喜んで放棄するよう自己コントロールできる人でなければ、ハードワーカーの研究者としてやっていけない。研究以外はストイックな生活、ダイエットの生活が要求される。確かに1週間に70時間働けるほど“何かに熱中できるこどは、人間として幸せである。しかし、これが一生つづくとしたらホントーに幸せなのだろうか?

 約25年間、研究中毒の生活をつづけても、 、大科学者にはなれなかった。マ、才能と、それ以上に努力が足りなかったのである。ワカッテイマス。性格にも原因があるかもしれない。イッテクレルナ。運も悪かったかもしれない。研究成果はパッとしない。経済的にもパッとしない。人間性もパッとしない。このまま研究一途のパッとしない人生をつづけていくと、生きているうえで蜴重な多くのことを味わえないで人生を終えてしまう。学問一筋といえば聞こえはいいが、誰かに踊らされたバカな人生を送ってしまうことにならないだろうか?

 一方、最近の日本の若い研究者を見ると、「ソコソコの研究」をやって、人生を楽しみ、30代前半でマイホームを手に入れたりする。アメリカにいる日本人ポスドクも、テニス・ゴルフに熱中する人がいる。スミソニアン博物館、ナイアガラの滝などなど、アメリカ観光に熱中する人がいる。しかし、こういう“ナイン・トウ・ファイブ”派が研究者のオリンピック競技会で勝ち残っていくことはない。

 では、現代の研究者は何をどう求めて生きればいいのだろうか

不肖ハクラク著より