シリコン製ニューロンで記憶障害が回復

老化とともにゆっくりと進む記憶の喪失も厄介ですが、アルツハイマー病にかかるとそれとは比べものにならないほど大変です。神経インプラントは感覚機能や運動機能に関わるものですが、高次の思考プロセスにおける認知能力の欠損を修復する研究に携わっている人もいます。南カリフォルニア大学のセオドア・バーガーは、記憶と海馬の仕組みに長年興味を持っており、近年はアルツハイマー病により損なわれる機能、すなわち、直近の記憶を長期の記憶へと移行させる機能の代わりとなるプロテーゼの開発に取り組んでいます。経験した事象の新たな記憶を作成する上で、海馬は中心的な役割を果たします。これは、海馬を損傷するとたいてい、新たな記憶の作成がとても難しくなったり、損傷前の記憶も思い出しづらくなったりすることからもわかっています。楽器演奏の習得など、手続き記憶は海馬が損傷しても影響がみられないため、海馬のつかさどる機能には含まれないと考えられます。

海馬は脳の奥深くにあり、進化上は古い部位で、進化の次元の低い動物の脳内にも見られます。しかし、海馬は他の部位ほど接続が複雑でないため、バーガーのもくろみはわずかではあるものの容易になります。損傷した海馬の細胞が実際のところ何をしていたのかについては、まだ推測の域を出ていませんが、だからといってバーガーが二の足を踏むこともなければ、このタイプの記憶喪失を患う人のためのチップを開発するという壮大な計画が滞ることもありません。彼は損傷した細胞の作用を正確に知る必要はないと考えています。損傷した細胞へ入力する細胞とそこからの出力を受ける細胞をつなぐ橋さえ提供できればいいと思っているのです。

しかし、これは決して容易な話ではありません。彼は、電気的な入力パターンから、出力パターンを推測しなければなりません。たとえば、あなたが電信技手でモールス信号をある言語からほかの言語へ翻訳するとしましょう。ただし、どちらの言語も信号もわからないという問題を抱えています。英語で受信した信号を日本語の信号に直して送信しなければならない。それなのに辞書も、信号の解読表もない。どうにか手立てを考えるしかありません。バーガーの仕事は、これをさらに難しくしたようなものでした。この研究には、さまざまな分野の専門家の協力と、数年の月日が必要でした。バーガーのシステムでは、損傷した中枢神経系細胞は、その生物学的機能を模倣するシリコン製のニューロンに置き換えられます。シリコン製のニューロンは、損傷した部位がかつて入力を受けていた脳の部分からの電気活動を入力信号として受信し、出力していた部分へ出力信号として送信します。プロテーゼが、損傷した脳の計算機能を引き受け、計算結果を神経系のほかの部位へと伝達する機能を回復させます。これまでネズミや猿で行ったテストは大成功でしたが、人体で試せるようになるのはまだ数年先です。