二つの脳半球で役割が異なるわけ

私たちは、膨大な数のモジュールでできているのに、なぜ一つにまとまっているように感じるのでしょうか。何十年もの分離脳研究で、二つの脳半球がここの機能に特化していることが明らかになり、さらに、それぞれの脳半球でも機能特化が起きているという知見も得られました。私たち人間の大きな脳は、無数の能力をもっています。私たちがたんに、特化したモジュールの集積ならば、ほとんど当たり前のように思える、この強い一体感はどのように生まれるのでしょうか。その答えは、左半球の解釈装置と、さまざまな事象が起きる理由を究明しようとする解釈装置の動員に見出せるかもしれません。

1962年、コロンビア大学のスタンリー・シャクターとジェリー・シンガーは、研究実験に参加した被験者たちに、エピネフリンを注入しました。エピネフリンは交感神経系を活性化し、その結果、心拍数が上がり、手が震え、顔が紅潮します。それから被験者たちは、実験者たちが用意した人物に引き合わされました。その人物は、幸せいっぱいの振る舞いか腹を立てている振る舞いのどちらかを見せました。エピネフリンの効果について知らされていた被験者は、動機などの原因をエピネフリンのせいにしました。一方、エピネフリンの効果を知らされていない被験者は、自律神経が興奮した原因を周りのせいにしました。幸せいっぱいの人物に接触した被験者は元気づけられたと報告し、怒った人物に被験者は怒りがわいたと報告しました。これは人間が事象についての説明をひねり出す傾向にあることを物語っています。私たちは自律神経が興奮すると、理由を説明せずにはいられなくなります。もし明らかな説明があれば、それを受け入れます。エピネフリンの効果について知らされていた被験者たちと同じように、明らかな説明がなければ、自分でひねり出します。被験者は、自分の自律神経が興奮したことに気付くと、即座に理由を付けました。このメカニズムは強力です。私たちは偽の「情動と認知の相関関係」にどれほど頻繁に騙されているのか、と思いたくなります(良い気分だわ! 私はこの人が本当に好きに違いない! 一方、彼は、ああ、チョコレートが効いている、と思っています)。このような説明や仮説をひねり出すこの傾向は左半球にあることを、分離脳の研究は示してくれました。

左半球は事象を解釈せずにはいられないようですが、右半球にはそういう傾向はありません。両半球での記憶作用の違いを改めて考えてみると、この違いは適応を助けるものかもしれないことがわかります。実験で品物を見せ、それがあらかじめ示された品物の中にあったかどうか判断するように求められると、右半球は、すでに見たものと新たに出てきたものとを正しく識別できます。「ええ、プラスチックのフォークと鉛筆、缶切り、オレンジはありました」というように。ところが左半球は、前に示されたものと新しいものが似ていると、判断を誤りがちになります。どうやら自分が構築した概念的枠組みに当てはまるかららしい。この発見は、左半球の解釈装置は理屈をつけて知覚情報を理解可能な全体像に取り込むという仮説と一致します。単に事象を観察するだけでなく、なぜそれが起きたかを問うことにより、そのような事象が再び起きた時に脳はより効果的に対処できます。しかし、そうするに当たり、取り込むプロセスは、言語的・視覚的素材を処理するときと同じで、近く認識の正確さの面に悪影響を与えます。一方、右半球は、こうした解釈のプロセスに携わっていないから、正確さは変わらずに高いのです。左半球には提示された素材について自由に考えさせ推測させます。健常な脳では、二つのシステムが互いに補足し合い、正確さを犠牲にすることなく取り込み処理ができます。