NIHの科学運営官

 

  、NIHの科学運営官(と科学運営官になりたい人)を教育する研修会に参加した。丸2日間、朝8時20分から夕方5時までというビッシリのスケジュールだった。ベセスダ市のNIHキャンパスにあるナッチャービルの大きな会議室が会場たった。初日の朝、受付で、番号のついた紙をもらった。8番だった。この番号のついた8番のテーブルが自分の席だ。日本の結婚式披露宴会場のように、会場には6~7人ずつに分かれて座る8つのテーブルが配置してあった。各テーブルに1人ずつ、研修アシスタントがついていた。研修アシスタントは、そのテーブルの運営役(moderator)で、研修生の自己紹介を司会し、また議論を活発にする役である。30代後半のあま色の短かい髪、小柄、小太り、クリクリ目の女性ペギーが のテーブルの研修アシスタントであった。会場内で最も美人で背の高い30イ弋前半の女性ゲイル(Gail)が、私の隣に座っている。不肖・ハクラク、美人が隣りにいると、少し落着かない。

 10時30分になって、コーヒーブレイクとなった。すると。

 「こんにちは」と、小柄で丸顔のイスラム系の男性がたどたどしい日本語で、不肖・ハクラクに話しかけてきた。

  、「ギョツ川と驚いた。こんなところで、日本人とはまるで異なる顔つきの人に日本語で話しかけられるとは。相手が日本語をしゃべっているにもかかわらず、「日本語わかるんですか?」、と聞いてしまった。

 「少し」、と返事が返ってきた。

 その40歳くらいの男性がアシュラムたった。バングラディシュ出身で、京都大学工学部工業化学科に4年間留学し、その後アメリカに來たという。アメリカに來てから12年経つそうだ。ノースカロライナ大学にいて、4年前にNIHにきた。NIH国立糖尿病・消化器一臂臓研究所の現役の研究者である。

 自分のことは櫃に上げて、「何でこんな事務系の研修会に?」と聞いた。

 「いまの職はパーマネントではない。N1日に移って来るときはパーマネントにしてくれるという話だったけど、2~3年前にNIHの方針が変わった。しかし、NIHを辞めて大学の教官として外部に出るにしてもグラントが必要だし、いま申請してもクラッドをとれる自信はない。それに実験をしていると、実験の都合で土曜日も日曜日もないし平日も夜8閼ごろまで働かなければならない。研究成果をださなければというプレッシャーは相当きつい。でも科学研究と全く違う職業につきたいとは思わない。科学運営它になれば、研究成果というきついプレッシャーはないし夕方5貽には家に帰れる。人間らしい生活ができるんだ。だから科学運営它として、科学研究にかかわる仕事がしたいと思ったんだ」

 「大学の教官としてテニュアをもっていても、グラントがとれないと大変だ この問ひさしぶりに、ノースカロライナ大学に行ってきたんだけど、グラントがとれない奴は、下を向いて生きている 私は上を向いて胸を張って生きていきたい」

 日本語と英語のチャンポンで、40歳近いと思われる小柄なアシュラムがそう語ってくれた。

 アメリカでは、研究者がグラントを取って、上を向いて胸を張って生きていくのはとても大変らしい。