遺伝子汚染

 遺伝子組み換え作物の適用は将来の問題である。自然の力に支配される性格の強い農業技術のうえでは経験が大きな役割を持っている。しかし遺伝子組み換え作物栽培は経験というものがほとんどないハンディを持っている。したがって、あらゆる段階において、技術適用の安全性を予測評価することが大きなウェイトを占めることになるわけである。

遺伝子組み換え作物の直接的な影響の評価

(1)遺伝子組み換え作物自体の雑草化に関する評価

 現在は遺伝子組み換え作物自体の農耕地についてのみ、影響の検討がされているようだが、遺伝子組み換え作物雑草化を評価するには、地域の現実の栽培様式に合わせた挙動を検討する必要がある。すなわち、農耕地の間における栽培作物の組み合わせと、遺伝子組み換え作物雑草化を規模を変えて、実験し、雑草化の頻度と対策の技術や経費のデータを蓄積し、分析するところから着手しなければならないだろう。

 これは経験のないところから出発することになるから、評価は容易ではあるまい。

(2)遺伝子の流出に関する評価

 農耕地の雑草や周辺の人里植物への組み換え遺伝子の流失が懸念されるわけだが、これまでのところ作物から雑草や周辺の人里植物への遺伝子の流出、言い換えれば作物と野草との雑種など、農学研究者の間においては、問題にされなかったことなので、遺伝子の流出の実験的な研究が先行されなければならないだろう。これは経験のないところから出発することにな

(3)その他の問題の評価

 標的の生物以外への危害に対する評価ということになるわけだが、化学農薬による農耕地、およびその周辺の生物への影響についての、これまでの知見を参考にして、また、生態系における一部の変更が他に及ばす影響に関する知見などを参考にして、この問題の評価の方法を模索する必要があろう。

作物の多様性に対する脅威の評価

(1)作物の多様性についての現状と問題点

 現在でも作物の品種の多様性は狭ばめられてしまっていることは前述した。すなわち、現在の作物の多様性とは、経済の要求に対しての高品質を中心とした狭い範囲の中での変異である。在来の品種の多くが消滅させられたため、それらを含めた往時の多様性のなかの一一部分のマイナーな多様性といわなければならない。

 現在のような発想のもとでの品種改良は、いつでも必要な遺伝子を人工的に操作できるという自信に裏打ちされて、作物の品種の多様性を一層低下させるにちがいない。

 品種の多様性の減少そのものは数値的に求められるだろうが、その意味の解釈は農業のあり方とかかわるから、極めて困難なことになるだろう。

(2)野生植物および在来品種に関する評価

 作物の品種とは社会のニーズに応えるべく、先人の農家や研究者が作り出した文化的な遺産という性格を持っている。すなわち、過去の食文化を研究する資料という性格を持っている。

 また、農耕地周辺の野草である人里植物は、陽光地を好む共通性を持っている。日本のようなモンスーン地帯においては、森林がよく発達し、草はは森林の下生えとして日陰植物となるか、川原などのように増水によって、絶えず表土が洗い流されるため、陽光地でありながら、森林が発達し難い場所に生活していた、と思われる。

 太古の昔、人間が定住を始め、森林を伐採してオープン・スペースを作った頃に、陽光地を好む草が人間が作った開空地に入り込んできた。これが人里植物の起源であると考えられている。

 人間は人里植物の中から将来作物となる植物を発見し、その種子を意識的にまくようになる。一方、人里植物として同様な性格を持つが人間には無用な植物が耕地特有の雑草となった、と考えられている。

 このように人里植物というのは、人間の農業の起源に関係するような植物群であり、将来の安定的な農業を指向する場合に多大の情報を秘めている存在といわなければならない。

 遺伝子組み換え作物による人里植物の遺伝子汚染や、遺伝子組み換え作物の増加にともなう除草剤の多用が人里植物への圧力となり得ることは明らかであろう。