舌が英語を記憶するまで囗になじませる

 

 Kはしばらく、私の言葉について考えているようだったが、やがて話を前に進めた。「それから、英語が『完全に囗になじむ』までというのも、そこに出てくる言葉を全部覚えるまでという意味とは、当然、違うんでしょうね?」

 

 「違うね。結果としてそうなるかもしれないが、重要なのは、英語の音が『囗になじむ』ということ。舌が音を記憶してしまうという段階だね。暗記というのは頭ですることだが、この場合は舌ですることさ。テープの音声どおりに自分の舌で再生でき、その音に耳が慣れ、舌が慣れて、いちいち書き取った言葉を見なくても、流暢に自分の囗から英語が流れ出てくる、そのことが自分で認識できる状態、それが英語が完全に囗になじんだ状態だ」

 

 「舌が英語を話すということが、まだ実感としてわかりませんが、そうなればどんなに素晴らしいでしょうね」

 

 「信念をもちなさい。『ほんとうにできるんだろうか』ではなく、『ほんとうにそうなるのだ』という信念。でも、『できなければできるまで』とか『やればできる』などという軍隊式の発想でやみくもにやっても、成功することは少ないよ。成功には、冷静な頭と熱い心の二つが必要だということさ」

 

 「それプラス、正しい方法論、でしょう? むやみに英語の辞書、それも英韓辞典を丸暗記したり、アメリカ大統領の演説を完璧に暗唱したりしても、役に立たないということですね。熱い心がけで英語を勉強しても、めざす目的地にはたどり着けない……」

 

 「そうだよ。それを考えると、じつに残念で、腹立たしくさえあるね。私か大学の受験勉強をしていたころを振り返っても、ほんとうに惜しい時間を浪費したものだと思う。英語の受験に備えて、ありとあらゆる読解問題を解いていく。文章によってはわからない単語が半分以上もあり、その意味を書き足して紙をまっ黒にしながら、徹夜で頭に詰め込む。だけど、そんな思いで覚えた単語のばとんどは受験がすむと忘れてしまったし、いまでは、そのとき覚えた単語の四分の一も使っていないのに、英語の達人とまで呼ばれるんだ。バカバカしいと思わないかい?」

 

 「英語の凡人には、もっとバカバカしい話ですよ」

 

 「どうしてそんな愚かなやり方をいまでも続けているのか、不思議だよ。さらに嘆かわしいのは、そんな方法が植民地時代に与えられたものだということだ。その当時のことをモデルにした小説には、英語の辞書をIページ覚えると、それを破りとって食べてしまうというエピソードが出てくる。実際、私の学生時代にも、そういうのがいたよ。それを英語習得のいい方法だと考えていたのなら、韓国のむかしの文教部から現在の教育部にいたるまで、外国語担当の役人などというのは、むかしもいまも、じつに度しがたい人間といわなくちゃならない」

 

 「お役人気質って時代を超えて不変ですね。前例に従って、無事無難に勤め上げることをモットーにしている」

 

 「本題からそれてしまったね。話を戻そう。要するに、言葉は生きていなくてはいけないということ。本や頭の中に閉じ込められた状態のままでは、絶対に舌の先から生きた言葉は生まれてこない。音の高低、強弱、長短などを木来のまま舌に刻みつけ、本来のまま舌から発せられてこそ、はじめて言葉が生命あるものになるんだ」

 

 「刻みつけるという言葉を肝に銘じておきます。そろそろ帰らなくちや」

 

 「正しいノウハウを熱い心でやってみることだね。これから、どんどんおもしろくなっていくはずだよ」

 

『英語は絶対、勉強するな』チョン チャンヨン著 (定価1300円)より