数学から医学までを貫く考え方

 

 精密な知識の類型

 

  「科学」という語彙は広義には人文科学や社会科学といったいわゆる“文科系”の学問をも含み、さらに自然諸科学プロパーからは外れる数学をも包みこむ。「科学」を自然諸科学を中心として考える約束であるが、科学論を効果的に展開するには、数学から自然諸科学を中間において医学までをいっしょに扱うのが都合よい。数学、自然諸科学、工学をいっしょに論ずるのも一つの子であろうが、工学については前章で「科学的テクノロジー」としてすでに議論してあるので、ここでは古くからいかなる社会にも存在してきた医学を議論の俎上にのせてみたい。

 

 数学、自然諸科学、医学は、いわゆる。理科系”の学問としてくくられるが、学問の発生を探る科学史の観点から見ても、一括して論じられる理由を共有している。数学と医学はほとんどあらゆる文化的共同休で目撃できる。このことは古典科学や、中国・日本の前近代学問のことを想起してみるとよい。たとえば、江戸時代に盛んに行われていたのは和算と、中国と西洋の双方を起源とすることであった。さらに現代医学の成功の秘密はかなりの程度、近代自然科学の発艇に稲子ことができる。こうして、数学と自然科学と医学をともに論ずるす分な理由があることが理解される。これまでの議論は歴史的手順を介して科学や技術の特性を考察してきたが、本章ではむしろ、時回的次元を可能な限り度外視して、いわゆる哲学的側面に焦点をあてて考えてみよう。

 

 議論の子がかりに古代ギリシヤのものの考え方から始めるとしよう。「数学」という学問名は英語ではmathematicsという言葉で表されるが、もともとはギリシヤ語のマテーマテイカに由来する。マテーマテイカは「学ぶ」を意味する動詞マンタノーから作られた。それで、マテーマテイカは「学ばれるべきことども」を意味した。端的に「学問」という語義をもっていたのである。この用語法はピュタゴラス学派から始まるという伝説もある。ピュタゴラス学派においては、算術、幾何学などの学科を総称する術語として用いられたというのである。

 

 * 「数学」という訳語をマセマティックスに対応するわが国の学術語として定めたのは、一八七七年萌治十年)に発足し、近代日本の最初の学会と目される東京数学会社の邦訳語を決める訳語会の例会においてであった。


 アリストテレスは理論的学問は三つ存在すると考えた。数学と自然学と形而上学(哲学と同義と見なしてよい)である(『形而上学』)。彼によれば、数学は存在することがらの「形相」(イデアないしエイドス)ヽ観念的側面のみを扱う・自然学は「自然(ピュシス)のことどもを論ずる学問である。それは「形相」のみならず「質料」をも問題にする。それからアリストテレスによれば、形而上学は存在自体を論じ、原因を根源まで追究する。それはまた神学とも呼ばれる。

 

 * 近代日本のピュシカの訳語は「物理学」であるが、それにも十九世紀後半の意味が染みこんでいる。別の目で見れば、本来は「自然学」と訳されるべき学問から、生

 

  物も化学もすでに。追放”されていたのである。物理学という術語が明治期に定着する前、physicsには、古代中国で使われ始め、朱子学で用いられた「窮理」という言葉があてられていた。

 

 数学は一香曖昧さをまぬがれた確実な学問に違いない。しがし、それは、アリストテレスによれば、数学の扱いうる対象が最も貧しいがらである。自然学は自然的存在のもっと豊かな側面を論ずるがゆえに、逆に一定程度の曖昧さをまぬがれえない。形而上学は存在自体を論ずるとうそぶくものの、その知識はいまだに混沌としている。それがまた哲学の誇りでもあり、同時に悲哀でもある。形而上学アリストテレスにならって神学と等値するとしたら、そういった学問の存立を疑う者すらいるだろう。マルクスやニー子エなら、たしかにそうだろう。

 

 自然学ないし自然哲学が全面的に数学化され、確実性の度合いを増してくるのは、子七世紀のガリレオやデカルト以降のことであり(第二章3)、それが近代科学の特色である。そしてそれは同時に、技術的媒介の採用によって機械論化された。それでこ

そ自然は操作可能な対象と見られるようになったのである。

 それでは医学の学問的地位はどうか? それは、同時に学問にして技術であった。どちらかというと、技術としての側面が勝っていると見られた。事情は中

国でも同様であった。それではそれは、いかなる経綸で現代の「科学」と呼ばれうる地位を獲得したのだろうか?