近代テクノロジーの思想

 

 

技術決定論

 

 私たちはしばしば科学をたたえたり、科学を睨ったり子るが、実は本来考察の対象にすべきなのは技術である。歴史としかにかかわり、社会に直接影響を及ぼしうるのは技術なのである。科学はその技術が力を増強するのを助ける機能を受け持つだけにすぎない。近代科学の助力を得てまことに大きな力をもつにいたった技術とはどのように見られるべきなのだろうか?

 

 技術を見る思想は多様である。人がごく普通にいだきそうな考えは、技術はある目的を遂げるためのたんなる手段だというものであろう。この考えは、技術の「道具説」と言われる。この説の支持者はしばしば、たとえば、技術の善し悪しが問われる場合、悪いのは(たとえば殺傷という)目的であって、目的と使い方によっては善く働くこともあるのだから、技術という手段に本質的に罪はないと考える。

 

 これと対照的なのが、技術はそのような手段ではなく、技術自体が実質的な目的内在的な存在、独立した存在であると見る考え方である。それは、技術の「実体説」と名づけられる(アンドルウーフィーンバーグ『テクノロジーの批判理論』一九九一年)。この説を唱える有力な思想家は哲学者のマルティーンーハイデガーである(「技術への問い」一九五五年)。

 

 現場の技術者はおそらく「道具説」を採りたがるに相違ない。技術者の多くは、技術問発の現場でその技術の立案に参加しえず、また技術が機能する場にも居合わせることが少ない。責任は負いたくないという心理からも、支持しや子い説であろう。

 

 他方の「実休説」は、技術そのものからしてすでにものごとの中枢部分にかかわる骨格的思想であり、イデオロギーであるとする。ハイデガーが批判的にとらえるのはなかでも近代テクノロジーである。彼によれば、近代テクノロジーはフォークーテクノロジーと性格を異にする。前者は自然から徴発する。ハイデガーは、私たちが導入した述語で表現すれば、ベイコン的科学とそれに依存する技術を告発していると考えてまい。そのような思想的性格をもった技術は本質からして批判的にとらえられるべきだというのである。ハイデガーの技術思想は、マルクーゼのようなハイデガーマルクス主義者と規定してしかるべき思想家によっても基本的に継承された(たとえば、『一次元的人間』。

 

 以上のような技術のとらえ方とも関連して、もっと現実の技術のあり方をとらえるのに役立ちそうな概念を導入してみよう。それは、「技術決定論」という考え方と、もう一つは、技術を「社会的に構成されたもの」とみる「技術の社会構成主義」の観点である。前者は、技術を自立的にとらえ、それが自律的に発展してゆくと考え、歴史を駆動する動力であると見なす。後者は、それと反対に技術を生み出す社会的背景に着目し、技術のもつ社会的次元、政治的含意をえぐりたそうとする。

 

 まず技術決定論から見てゆこう。この観点は、技術をいわば「立法者」とみる見方である。この考え方は技術者にとって心地よい。技術はなにによっても拘束されることがなく、技術が歴史を動がしてゆくことを主張する観点だからである。この考え方からすると、歴史を主導するのは技術者である。近代日本の思想家の多くは、この観点ないしこれに近い立場をとった。福澤諭吉はその一人である。彼は、『文明論之概略』の続編というべき『民情一新』の中で、蒸気や電信などの技術の導入こそ近代日本の建設にとって決定的意義をもつと論じた。彼によれば、「人間社会を顛覆する」のは、「蒸気船、蒸気車、電信、郵便、印刷の発明工夫」である。続けて、技術力の中でもとくに蒸気に関して次のように書いている。「蒸気の時代なり、近時の文明は蒸気の文明なりと云ふも可なり。蒸気一度び世に行はれてより、現に旧物を顯覆するは無論、凡そ人事の是非得失を論ずるに、旧時の先轍に照らして之を判断する可らず。正に是れ今日は世界一新の紀元と袮子可きものなり」(緒谷。明治人にしてみれば、近代西欧の技術を導入することこそが緊急課題で、それこそが歴史の主動力である、と考えても無理からぬことであった。西洋文明は決して西洋人の独占物なのではない。近代日本の自立のためにそれを導入しない手はない1そう福澤は考えたのである。

 

 永田廣志は『日本唯物論史』二九三六年)の中で、この福澤の所説を評して、「近代社会の物質的基礎として、近代的な機械技術の意義が強調されている」ゆえをもって、福澤には「一種の経済的唯物論」、「もっと正確にいえば、謂わば技術史観とでも云うべき歴史観がある」と指摘した。永田はマルクスの歴史的唯物論を念頭においてこう述べ、福澤をその「卑俗な形態」の持ち主としたかったのかもしれない。

 

 それではカール・マルクスは技術決定論的観点の持ち主であったのだろうか? 時にそう指摘する論者がいたりするが、そうではなかったというのが正しい見方であろう。マルクスを技術決定論者とみる者は、『哲学の貧困』二八四七年)の「手回し挽臼は封建領主を支配者とする社会を生み、蒸気挽臼は産業資本家を支配者とする社会を生ぜしめるであろう」といった一文を論拠としたりする。しかし、マルクスは、機械を重要な歴史の動力であっても、唯一の自律的動力と見なしたことはなかった。同じ『哲学の貧困』からもう一つの文章を引けば十分であろう。「機械は一つの生産力にしかすぎない。しかし機械の応用に立脚子る近代的工場は、一つの社会的生産関係であり、一つの経済的カテゴリーなのである」。マルクスにとって、テクノロジーは重要ではあっても、歴史を駆るエンジンの効率よい燃料の一種にしかすぎなかったのである(M・R・スミス、レオ・マルクス編『テクノロジーは歴史を駆動子るか?i技術決定論のディレンマ』一九九四年、ドナルドーマッケンジー『機械を知る』一九九六年)。

(科学論入門:佐々木力著)