第二の科学革命

 

 

 フランス革命が進展し、その急進主義的展開が一段落すると、近代科学を高等教育施設の中に制度化しようとする動きが本格化した。フランスのエコルーポリテクニク(かつては「理工科学校」という訳語が使われたことがある)はその典型であった。この動きはナポレオン戦争後のドイツにも受け継がれ、大学制度の中に近代科学研究がもちこまれるようになった。これが近代

大学の誕生といわれる事件である。こうして近代科学が本格的に高等教育研究機関である大学に制度化されることによって、科学の専門職業化か実現されるようになった。「科学者」曾雪’E{}という言葉が生まれたのが十九世紀前半(正確には一八三四年、英国人ウィリアムーヒューエルによる)であったのは、したがって、偶然ではない。こうして、十九世紀以降の科学は専門家による科学になった。日本に近代科学が「分科の学」として導入された歴史的基礎がここにある。

 

 フランス革命以前に英国では産業革命が推進されていた。それは生産過程に機械を導入することによって、人間の労働を軽減し、とくに織物産業は機械化され、生産性は飛躍的に向上した。が、この第一の産業革命に近代科学はそれほど貢献しておらず、反対に産業革命が科学的思索に大きな素材を提供した。たとえば、十九世紀以降の熱学の発展は、産業革命において重要視されるようになった蒸気機関なしには考えることはできない。熱機関だけではなく大がかりな実験器械が出現することによって自然現象がコントロールできるようになり実験諸科学は理論化されていった。化学や光学は定量的な精密科学になり、電磁気学は独立科学に成長した。

 

 数学の学問分野では、高等解析学が厳密化されてゆき、それと相即的に、非ユークリッド幾何

学や、代数解析の新理論としての代数方程式に関するガロワ理論などが誕生した。

 

 産業革命を前提して構築された実験諸科学の成果は、今度は技術に生かされていくこととなった。化学によって人工的に作られた染料による染色工業、電気産業はそういった最初の技術であった。こういった技術は、「科学に基づいた技術」と言われる。重工業を中心とする第二の産業革命は、「科学に基づいた技術」を大がかりに利用した産業革命である点て、軽工業に関する第一の産業革命と異なる。こうして、十九世紀中葉以降、科学と技術の相互交流はごく普通のことになった。東アジア諸国の人々が科学と技術を明確に識別できないゆえんである。

 

 十九世紀以降の医学は、フランス革命とともに民主化・大衆化が図られ、臨床医学講座が定着してゆくと同時に(ミシェル・フーコーのいう「臨床医学の誕生」)、精密科学としての化学・生物学の基礎のうえに実験科学として研究されるようになった(研究室医学)。ここに本格的な近 代医学が成立をみたと見る医学史家もいる。こういう観点から見れば、近代医学の誕生は第二の科学革命の一環であったわけである。

 

 20世紀になって登場してくる相対性理論古典力学電磁気学のある種の総合であり、量子力学は熱学をさらに発展させ古典力学とは異なる概念的枠組みを与えたものである。数学は十九世紀的発展を総合的に反省して深くえぐり、その対象を集合と構造という抽象的概念で構成されているものとして、とらえなおしてゆくこととなる。分子生物学は、生物学の機械論化を徹底させて生まれた学問分野である。

 

(科学論入門:佐々木力著)