自然学

 

 

 自然学(自然に関することがら、の意味)は論理的・経験的方法で展開された。その代表例がアリストテレスの『白然学』である。それは日常的観察と徹底した論理的思索である。自然学で議論できない超越的存在、自然現象をひきおこす究極の原因などは、アリストテレスの学問体系においては『形而上学』の中で議論された。数学と自然学の中間をなす学問として、上記の音階学、天文学のほか、光学(文す通りには「視学」)、機械学なども存在すると見なされた(「中回什字」と呼ばれることもある)。

とくに応用科学は独自の発艇を遂げた。その研究の中心となっだのはアレクサンドリアのムー

セイオンであった。しがしながら、ギリシヤ科学は基本的に人間労働を軽減するためには使用

されなかった。多数の戦争奴隷が存在して、その必要がなかったことも一因であったと言われ

る。

 

 * 学芸の女神ムーサを祭った神殿であり、同時に研究所・図書館でもあった。

 

  すなわち博物館の語源である。

 

 古典科学を直接に継承したのはヨーロッパの文化共同体ではなく、イスラーム(神への「恭順」を表す)を宗教的基礎としアラビア語を学問的・宗教的な共通言語とする地中海世界の広大な地域であった。これをアラビア科学ないしイスラーム科学といい、六世紀まで、時に世界の科学をリードしさえした。イスラームは人々の神のもとでの平等を原理として掲げたため、奴隷の存在を原則として認めず、理論科学による実践の補助を鼓舞した。この考えは科学にも反映し、インド数すによる簡明な計石法(今日の算用数すによる計算法の起源)、アルジすブルという未知数を使った計算理論(記けけ用いられていなかったが、のちの代数の起源)が数学理論に加わった。また、実際に自然を実践肘に(ないし実験的に)操作する学問として錬金術などの自然学が重視された。アラビア科学の研究センターは、ムーセイオンのイスラーム的対応物とも目されるバグダードのバイト‥ル‥ヒクマ(知恵の館)であった。ここで研究に従事した数学者の一人がアルトフワーリズミー(フワリズム出身の人の意味)である。彼が書いたインド式計算法についての書物はラテン語に翻訳されて、ヨーロッパ世界で普及した。それで、インドーアラビア式の算用数すによる計算法はアルゴリスムス(アル‥フワーリズミーラテン語なまりから)と呼ばれるようになった。今日では、さらに意味が転化し、コンピューターのプログラミングのための算譜がアルゴリズムと呼ばれている。アル‥フワーリズミーも、自分の名前のこの変容にさぞす驚いていることであろう!

 

 古典科学は、主としてアラビア語を介して、また部分的にはギリシャ語から直接、十二世紀

以降のキリスト教ヨーロッパ世界にラテン語に翻訳されて体系的に導入された。そこでの科学は、その使用言語から、中吐ラテン科学と呼ばれることもある。十三世紀には古典科学とアリストテレス的学問体系がキリスト教的に解釈しなおされて、キリスト教アリストテレス主義の学問体系が成立した。その制度的基盤が大学であったため、スコラ学(「学校で行われる学問」が原義)と呼ばれる。その雄はアルペルトゥスーマグヌスとその弟子トーマスーアクイナスであった。十二世紀ルネサンス以降発達した中世ラテン科学こそ、ヨーロッパ近代科学の建設者たちが基礎とし、また反逆した学問なのであった。