科学者の大衆化

 

  科学社会学者マッギンによれば、現代社会では研究者・技術者はとても多い。少数の特権的職業というより、ありふれた大衆的な職業である。研究そのものも、1人1人の研究者が独創的なアイデアを思いつき、実験をし、大発見をする時代ではない。パラダイムにのって、データベースを構築する世界になりつつある。

 アイデアを自由に試せる十分な研究費もないし、そもそも未開の大きな研究領域がない。しかも、大半の研究が個人研究ではなく共同研究である。1人1人は自分の持ち場の特殊技能を発揮すればよい。大きな研究プロジェクトは、ヒトゲノムプロジェクトのように国家的計画のもとにすすめられる。個人の独創性は場合によっては邪魔になる。工夫程度の独創性が求められ、研究プロジェクトのなかに組み込まれ、歯車化されていく。

 あちこちでいわれているように、従来のような科学は大局として終わりを迎えている。と見るのがどうやら正しいようだ。

“平凡な研究労働者”がスーパースター科学者”か

 では、現代の研究者は何をどう求めて生きればいいのだろうか?

 1つは/‘平凡な研究労働者”として最初から生きることだ。科学研究が好きだし、博士号もとったけど、研究は単なる1つの労働である。人生は働くことがすべてではない。豊かに幸福に生きる手段として労働があるだけだ。だから研究はソコソコにして、自分の人生を大切にしたい。イイでしょう。0Kです。

 もう1つの生き方は、週70時間以上実験しバ‘追いつけ追い越せやI・死ぬほど研究する’Iことに人生の価値を見出していぐスーパースター科学者”/‘オリンピック選手”である。この本は、こういう志向の強い若者向けに書いてきた。ただ、人間として、“スーパースター科学者”をいつまでめざせるだろうか?

 日本の研究者で何がしかの賞をもらった577人を対象に、アイデア発想年齢と研究終了年齢を調査したデータがある(図9-15)。アイデアは31~40歳でピークを迎え、研究終了は41~50歳でピークを迎える というわけで、いくら頑張って研究していても、40代でアイデアが衰え、50代で気力一体力が衰える。50代半ばで、考え方を変えて現実の人生に軟着陸せざるを得ない。

 といっでも実際のところは、賞とは縁のないまま定年を迎える研究者のほうがすっと多い。そして、そういう普通の研究者は、数として大半を占める。ところが、そういう普通の研究者が「研究者としてどう生きるのか割という指針がない。

 こういう人たちが研究者として生きる道を、この本では十分に示してくることができなかった

不肖ハクラク著より